目次
日本の製造業はなぜ遅れをとっているのか?
日本の高度経済成長の裏には主に製造業の品質改善活動があったと言われています。かつて安かろう悪かろうだった日本製品が高品質となったことで、イメージが向上し、かつ、コストが下がった訳です。
これが売れに売れました。
ところがそうした過去の栄光が今ではすっかり足かせになっているように見えます。品質に拘りすぎる品質オタクとしての性分が、事業のスピードを落とす結果になっているからです。
「おもてなし」はデメリット
「お・も・て・な・し」は日本人のそうした高品質ホスピタリティを表現したもので、当然良いこととして考えられているものですが、その反面「おいてきぼり」という面があります。
品質改善活動という与えられた箱庭のなかのプレイに興じているうちに、箱の外で起きたイノベーションに追いついていけず、気が付いたら過去の人ということです。
普段から外資系企業で働いて、日本と日本以外を見ていると、嫌というほどそういった局面に出くわします。「それでは遅すぎますよ!」と言っても、「品質を落としたくないので・・」といった反応が返ってきます。
そうして事業そのものが消滅していっているのが、今の日本の製造業でしょう。
先日フランスのパリで中国のスマホメーカー「シャオミ」のブティックを見ましたが、なぜこれを日本の大手電機メーカーが作れないのか、追いつくことさえできないのか、過剰品質体質の代償という気がします。
行き過ぎた品質は見返りが小さい
一般に品質を良くすれば、リピート客が増えて、収益にプラスに働くと考えられています。だから皆熱心に品質改善や顧客満足改善をする訳です。
ところが、こちらの書籍「おもてなし幻想 デジタル時代の顧客満足と収益の関係」には、「そうでもないよ」ということが書かれています。
確かに、粗悪な品質が多少良くなれば、それは収益に跳ね返るでしょう。ですが、すでに高品質なものをさらに良くしたところで、たいして収益に跳ね返らないと書かれています。
これが自分の実際の経験とぴったり一致しています。「まったくその通り!」という共感以外の何物でもありません。
本で紹介されているようなデータ的な統計や根拠はありませんが、経験上その通りです。つまり、高品質=高コストだけど高品質=高リターンではない、のです。
既に良い品質をさらに良くするには、かなりのコストがかかりますが、その割にはリターンにはなりません。ここが日本人が忘れている重要なポイントです。
ほどほどの品質でスピードを目指す
ではどうしたら良いのか?というと、自分は「ほどほどの品質を目指しましょう」と言っています。お客様の期待を超えるのではなく、期待通りの品質で十分満足なのです。
それよりは、物事を素早く動かすことが重要です。
同じアウトプットならより短い時間で済むようにする、高速でPDCAを回す、会議は時短か割愛する、などなど、高品質よりも高速のほうが全体として良い方向へと向かいます。
いつまでもダラダラと高品質を追求したところで、大したリターンを得ることはできません。さっさとやって、違っていたら軌道修正すれば良いだけの話です。
こういった少しずつの洗脳が、少なくとも自分の周りにおいて少しずつ効果を発揮しているなと実感する今日この頃です。
以上、日本の製造業はなぜ遅れをとっているのか?、という話題でした。自分は品質改善をコンサルティングすることもあるのですが、過剰品質にならないように注意しなければ、という自戒を込めて書きました。
★ ★ ★ 人気記事 ★ ★ ★